Lesson7-1「ペアレント・ケア①コーチのケア」

チャイルドコーチングを試しても、どうしても子供に声を荒げてしまったり、傾聴しているつもりでつい口を出してしまったりしてしまう場合、まずコーチ(親)側のケアも考えてみましょう。

チャイルドコーチングは、子供が主役の育児法で、親には裏方の役目があります。例えると、親は舞台の黒衣(くろご)で、子供が役者です。

黒衣(コーチ)は舞台で目立たないように黒い衣装をつけ、役者(子供)が無事演じることができるように裏からサポートします。

もし、コーチ(親)が、黒衣役にも関わらず、自分も舞台に出たいと思っていたらどうでしょうか?

チャイルドコーチングの途中に、親が子供を指図したり命令したりすれば、それは黒衣が舞台で役者に「そうじゃないでしょ」と指導したり、自分が役者にかわって演技したりしはじめるのと同じようなことです。

しかし、コーチ(親)の中には、自分が育児という舞台で脚光を浴びたいと思っている人たちもたくさんいます。または、役者(子供)を自在にあやつる(べき)「監督」であると思っています。

子供の成長についていけない親

子供は赤ちゃんでいる間は完全に親に依存しています。

親はそれを慈しんで、赤ちゃんのために何でもしてあげたいと思うでしょう。

大変な仕事ではありますが、ひとりでは何もできない赤ちゃんの世話をすることはとてもやりがいのある仕事です。その充実感はそれまでの親の人生を全く別のものに変えるといっても過言ではありません。

甲斐甲斐しく赤ちゃんの世話をしている時は「子供を愛している」という実感があります。

しかし、子供が完全に親に依存する時期はあっという間に過ぎてしまいます。

そして、すぐに子供は自分で選択し、挑戦し、成長していく時期に入ります。

子供が自分で成長する時期に入っても親がまだ赤ちゃんを育てている気持ちでいると、子供との関係にギャップが生じてきます。

理想では、親も子供の成長に合わせて子供との接し方の面でも成長していかなければなりませんが、子供にとって親が世界の全てであった頃に留まりたいと思う親は多くいます。

子供が乳幼児の頃は親には絶対的な力があります。「自分がいなければこの子は生きていいけない」という責任感は自信にもつながります。

しかし、もし子供以外に生きがいや自分の自信を培うものがない場合、親は子供の幼児期での関係に依存するようになってしまいます。

そのような状態では、子供が話をしていても、親が子供の話に集中することができません。

子供との関係で、親が優位につくことが重要事項だと、「この話の流れで自分が発言する箇所があるだろうか」「自分が知っていることを教えてあげたい」「教えてあげて私(親)をすごいと尊敬してほしい」と思ってしまうからです。

そのような場合、子供が自分で成長する段階に入っても細かく口をだしたり、なんでも介入したりすることがなかなか止められません。

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子供の業績を自分の業績と考える親

また、親が子供に依存している状態だと、子供が通学する年齢になると子供の成績などを自分の業績と考えがちです。

そうなると、親は子供を自分の一部のように利用するようになってしまいます。自分の気分を良くするために子供の良い業績が必要となります。

子供の人生をコントロールし、子供が出す成果から満足感を得ることが「自分自身の充実」であると、間違って考えてしまうのです。そして、「子供を自分の望んだ方向に教育し、子供をプロデュース」するのが親の仕事と思ってしまいます。

そのような親は子供を自己実現のために利用しているのですが、本人は「教育熱心」「責任感のある親」であると理解しています。

また、「良い子供」をプロデュースして周りから素晴らしい親と賞賛されることで自己評価をあげる親は、子供が少しでも(親からみて)変わった行動をしたり、レールから外れたりすると非常に憤慨します。

自分の自己評価が子供にかかっていますので、子供の問題は子供の問題ではなく、親の自己を揺るがす大問題なのです。

子供に精神的にパラサイト(寄生)していると、親の精神状態は完全に子供の行動に左右されますから、親には自分の感情を自分でコントロールできない状態にあります。親にとって、自分で自己実現できない状態なのでジレンマに陥ります。

そんな親は「なぜあなたは私(親)にこんな思いをさせるのか」「どうして(親が思った通りに)ちゃんとしてくれないの」と常にイライラしていなければなりません。

また、親の気持ちを察する子供は、親が喜ぶように行動するようになるので、大人になった時に自分のしたいことがわからない人間になってしまいます。

このような状況を避けるために、親は自分の人生を充実させなければなりません。

もし、子供の言動でとてもイライラしてしまう場合、もしかしたら、自分は子供の存在を自分の自己実現と混同していないかどうか自問してみる必要があります。

子供と自分の自己実現を切り離したとき、はじめて子供を「個人」として扱えるようになります。